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あるナルコレプシー男性の話

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あるナルコレプシー男性の話

寿司屋の清君

清君(仮名)は背が高く、よく太っている男の子でした。お父さんは寿司屋を経営していて、清君はいずれ店を継いで寿司職人になることを夢見ていました。

 

清君は運動神経は良くないし、学校の勉強もあまりできない方だったけど、おおらかで冗談が上手でみんなの人気者でした。

 

ある日突然訪れた「居眠り病」

清君に異変が訪れたのは高校2年生の時でした。教室の一番後ろの席に座っていた清君は、授業中に突然椅子から転げ落ちたのです。

 

「清君が倒れた!」教室は騒然となりました。友達や先生が駆け寄ると、清君は寝息を立てていました。こん睡状態だと勘違いした先生は、急いで保健室の先生に連絡をし、救急車を呼びました。

 

でも、救急車が到着する前に清君は目を覚まし、起き上がりました。清君はすっきりとした表情をしていて、身体のどこにも不調はありませんでした。

 

念のため病院に行って検査を受けましたが、身体のどこにも異常はありませんでした。

 

それから清君はたびたび突然居眠りを始めるようになりました。黒板に字を書いているとき、理科室へ移動しているとき、バスケットの試合中でも。

 

それだけではありませんでした。清君は笑うと急にがくんと膝をついて転ぶようになりました。楽しい時、うれしい時に急に脱力感に襲われるのです。

 

そして、夜は悪夢を見るようになりました。悪夢はとても鮮明で、金縛りを伴います。ある日は突然雷に打たれ、黒こげになっている清君をみんなが指をさして笑っていました。逃げ出したいのに、身体が動きません。

 

日中の眠気はひどくなる一方なのに、夜寝ようとすると悪夢に襲われ、また、たびたび夜中に目が覚めるようになりました。

 

清君の異常な居眠りや脱力発作は学校中で有名になりました。あんなに明るかった清君は笑わなくなり、教室で孤立していきました。

 

病院を訪れるまで

学校を卒業した清君は、実家の寿司店で見習いをはじめました。でも、包丁を持ったままでも眠ってしまうので、いつまでも下働きを卒業できませんでした。

 

そんな時、お店に精神科の病院で働くお医者さんがお客さんとしてやってきました。お父さんと話しているうちに清君の話になりました。先生はこう言いました。

 

「それは、ナルコレプシーという睡眠障害だよ。」

 

先生は、すぐに自分の働いている病院に来るように言いました。

 

ナルコレプシーとの闘い

清君は、自分の異常な眠気が「病気」だとわかってホッとしました。治療には10年単位の時間が必要だといわれました。でも、「根気よく治療をすれば夢に向かって又歩き出せる。」病気を発症してから失っていた前向きな気持ちが清君の心に蘇ってきました。

 

清君はまず、夜は11時に寝て6時に起きることを厳守するようにしました。病院からは、日中の眠気を抑えるために「モディオダール」という薬が処方されました。また、情動脱力発作(笑った後などにおこる脱力症状)を抑えるためにトフラニールという薬を飲むことにしました。

 

清君は脱力発作を恐れて、できるだけ感情を高ぶらせないように注意してきました。「これでまた、昔のように楽しいことは楽しいと思える。」清君は涙を流して喜んだそうです。

 

薬のせいで口が渇くことがありました。お医者さんに相談すると、「こまめに口をゆすいだり、飴をなめたりガムをかんで唾液の分泌を促したらいい。」とアドバイスをもらいました。

 

モディオダールのお蔭で、日中の睡眠発作は無くなりました。昼食後に短時間昼寝をする時間をもらいながら、寿司職人の修業を本格的に始めることができました。

 

寿司職人清は健在

清君がナルコレプシーの治療を始めてから6年がたちます。まだ、モディオダールとトフラニールは手放すことはできません。でも、夜間悪夢や金縛りにあったり、夜中に目が覚めることはほとんどなくなりました。昼食後の仮眠は欠かすことができません。

 

今はお父さんと並んでお客さんの前で寿司を握っています。清君がお店に出るようになって、笑いが絶えない明るいお店になりました。寿司職人としてはまだまだこれからですが、いつか2号店を出すことを目標に毎日頑張っています。

 

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